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カウンセリングへの素朴な疑問

臨床心理士などがカウンセリングを行うと、言語化して相手に伝えることの重要性を強調します。メンタルヘルス、特に、うつ病等からの回復・復職を意識した書籍にあたると、相手にどうやって物事を伝えるか、に比重が割かれています。一面では重要ではありますが、文化という側面を踏まえると、片手落ちではないか?と考えています。

 

現在の日本のメンタルクリニックはアメリカ精神医学会の影響を大きく受けています。認知行動療法は皇太子妃雅子様の主治医で知られる大野裕(ゆたか)氏が米国から輸入したものですし、精神科医が病気を判定する際には、DSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)というマニュアル(現在はDSM-5と呼ばれる5版)を用いています。また、精神科医が行政に届け出をする際の疾病コードに使用しているのは、WHOが纏めたICD(International Classification of Diseases)の10版であり、精神および行動の障害はその5章(F00-F99)に記載されています。ICDも、もちろん欧米の文化を色濃く反映しています。

 

精神疾患・行動疾患の診断の一つの尺度は、社会生活に問題があるかどうか、平たく言えば生き辛さです。

 

兎に角、日本は言わずとも察することが前提の文化。それが出来ないと、空気を読めないという批判を受けますし、もしかすると、面と言われることもなくいつの間にか孤立してしまうかもしれません。何しろ、KY(空気を読めない)が流行語になったことがあるような国です。一方、アメリカは真逆。意見表明しなければ、無かったも同じです。他国と比較しても、日米はハイコンテクスト(文脈の中で察する)とローコンテクスト(具体的にはっきり語る)という意味で両極に位置します。また、ビジネスコミュニケーションやキャリア論の視点からすると、高学歴で社会的に成功した人ほど、その国の文化で必要とされるコミュニケーションスタイルが得意になります。

 

同じ日本人でも、霞ヶ関の官僚の忖度は意味不明というかやり過ぎな感じがしますが、それは日本における高学歴・社会的に成功した人の典型とみることができます。日本の大企業の社長のメッセージが、外部の人間以外にはあまり響かないというのも、日本の企業文化の中での成功者だからこそ、とも考えられます。

 

このような問題意識もあり、米国で正しいコミュニケーションスタイルが日本において正しいとは言えず、米国流を是とするメンタルヘルス関係者の姿勢や著作に疑問を感じることがあります。ときに、メンタルヘルスに携わっている方は、普通の日本企業のサラリーマンからすると独特の方が多く、困惑させられることもあるそうです。米国文化を反映したコミュニケーションスタイルをそのまま日本で行っているからかもしれません。しかも、日本人の患者は、医師やカウンセラーには下手にでるというか、あまり文句を言わないので、そうした日本人からすると独特のスタイルを修正する機会が少ないことも一因でしょう。

 

私は、生き残るとは環境に適応すること、とドラスティックに考えている部分があります。会社・組織での生き辛さは、環境に適応できていない面もあると思っていて、そこは自分の権利を主張しても片付かない問題もあると思います。ハラスメントなど自分の人権を擁護するために主張しなければならない場面もありますが、徒に主張するのではなく、察するスキルを磨くことも日本企業(特に古くて大きい日本企業)の中では必要だと考えています。

 

メンタルの健康は社会生活において必須です。そのケアに携わっている専門家の現状認識は正しいのか。今後、文化を前提にした治療方針の導入など大幅な修正があるのではないか、と考えています。