智者の一失、愚者の一得

古代中国の秦から漢に至る動乱期、漢には韓信という名将がいました。漢を建国した劉邦に仕え複数の国を討伐した、漢の中国統一の功労者です。韓信は有名な背水の陣をもって趙を破るのですが、その前に、趙の李左車は漢軍の弱点は兵糧の補給にあると見抜き、補給路を断つ作戦を進言していました。その策が用いられていれば、韓信は撤退を余儀なくされていたでしょう。

 

韓信は李左車の才能を高く評価し、殺害せず捕らえるよう命じます。韓信は李左車に上座を用意し、先生として今後の相談をしようとしたのですが、「敗軍の将、兵を語らず。亡国の臣、国家の存続を計らず。私は敗軍の将にして亡国の臣です」と断られてしまいます。韓信は「趙が敗れたのは先生の策を入れなかった王と側近のせいであって、先生のせいではない」と説得し、李左車は「『智者も千慮に一失有り。愚者も千慮に一得有り』(賢い者でもときに間違え、愚かなものでもときに優れたことを言う)と言いますので、優れた人は愚か者の言葉も採り上げることがあるのでしょう」と、韓信に次の燕を攻めるにあたっての外交策を授けます。その結果、韓信は燕を易々と降伏させることができました。

 

中国らしい大きな話ですし、教えを乞うことを重んじる姿勢や責任の所在についての考え方、誰が言ったかではなく何を言ったかを重視する姿勢など、現代にも通じるところがまさに古典です。

 

卑近な例ですと、まぐれ当たりのエコノミストや経済評論家、アナリストもいれば、たまたま運がなかったとしか思えない方もいらっしゃいます。一回だけのまぐれ当たりを誇る方もいれば、一回の間違いを猛省する方もいる。身近にもこんな方々がいらっしゃるかもしれませんね。