心頭滅却すれば火もまた涼し

思い返すとかなりの根性論・精神論のこの言葉。小学校の教室があまりに暑く、うだっていたときに担任の先生が言ったような…

 

オリジナルは中国の漢詩ですが、日本では、戦国時代、甲斐の武田家に招かれていた甲斐恵林寺の和尚、快川紹喜(かいせんじょうき)の言葉として有名になりました。この言葉、何というか、禅宗の高僧が悟りの境地で発したようなありがたい印象がありますが、状況は穏やかではありませんでした。恵林寺は織田信長と遺恨のあった、近江の武将・六角義賢(承禎)を匿っていて、織田信長は武田家を滅ぼし際、六角義賢の引き渡しを要請。これを恵林寺が拒否したため、信長軍は寺に火を放ち、多数の僧侶とともに快川紹喜も焼死しました。その今わの際、整然と坐したまま発せられたと伝えられています。

 

まあ、穿った見方をすれば、最期の負け惜しみで「熱くなんかないんだからねっ!」と言うのを、さも有り難そうに伝えたというところでしょう。死亡フラグどころか確定時のバッドエンディングでの言葉なので、実は使い方が難しい「迷言」です。少なくとも、この夏の暑さでは使うべきではない言葉なのかもしれません(特に教員や上司は)。

 

それにしても、この事件の原因になった六角義賢は織田信長にゲリラ戦を仕掛け、たびたび寺に逃げ込んでは、信長に寺が焼かれていました。六角義賢を匿った時点でフラグが経っていた訳で、なかなかに壮大なシナリオです。因みに、当の六角義賢はどういう訳か恵林寺焼失の際に逃げ延び、その後、豊臣秀吉に御伽衆(相談役)として仕えて、秀吉が死去した慶長3年(1598年)に畳の上で往生しています(あれだけ寺に世話になったのにキリシタンになっていました)。享年78歳という記録もあるので、当時の寿命を考えると大往生。なかなかに考えさせられます…

 

快川紹喜と六角義賢、ある意味では精神論・理想論者と現実主義者の対極だったのかもしれません。生き残るために逃げるというのも一つの戦略ですね。