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金融教育の身体性、肌感覚

森永康平氏がフォーブスジャパンに寄稿した「キャッシュレス化が進む今だからこそ、子供には「現金」をあげよう」を読んで、なるほどと得心した。ざっくり言えば、金融教育、特に幼い子供を相手にした場合は、身体性、肌感覚が重要だということだ。

 

いきなり抽象度が高い話になったので、やや冗長になるかもしれないが、段階を踏んで論じたい。

 

まず、「金融」という単語である。金融とは、お金を融通すること。文明が発達した今日では、使う予定のないお金を銀行に預けて、他の誰かに貸すことで利子が付く。今、使う予定のないお金を一旦手放して、後で使えるようにするために貯めるといっても良いだろう。子供が豚の貯金箱にお金を入れる場合、利子はゼロだが、確実な元本保証だ。未来の自分が確実にお金を使える。

 

お金をちゃりんと貯金箱に入れることで、貯めた実感が生まれる。1円玉と500円玉では大きさも重さも違う。当たり前だがリアルだ。単なる数字ではなく、物質として価値がありそうなものを後々のために取っておく。

 

とりわけ、自分の選択で、今すぐに使わずに貯めるという行動を取ることに意味がある。後で、もっと欲しいものが必要になるかもしれない。そこまで子供が考えなくとも、とりあえず、貯めるというアクションを取るようになることが肝だ。お小遣いがキャッシュレスになると、デフォルトが貯めるになるため、使うという選択肢しかなくなる。それでは大人になってから、貯めるという発想ができなくなるかもしれない。

 

筆者は、社会人や大学生を対象に金融リテラシーや家計資産についてセミナーをするときは、「なぜか貯金ができないという方は、給料から天引きで自動的に積み立てられるようにしてください」と伝えている。本来、カネに色はなく、財布は一つしかないのだが、日常使いの口座と貯蓄用の口座を区別するだけで心理的な障壁が生まれる。子供で言えば、財布と豚の貯金箱である。

 

大人にも豚の貯金箱が必要なのだ。

 

どうしても貯めたいなら、「貯金箱」を壊すハードルを上げた方が良い。子供にとって貯金箱を壊すのはかなりの勇気がいる。貯金箱は子供の資産でないため、経済学が想定するような合理的な子供であれば、躊躇なく壊すだろう。だが、現実には違う。

 

大人の場合であれば、貯蓄用の口座は定期積立にするなど、引き出すためのちょっと一手間を増やした方が良い。解約コストは大概の場合、金利のペナルティと若干の手数料なので、金額ベースのコストは大したことはない。それよりも、心理的ハードルが重要だ。

 

経済学は選択の科学である。金融は割り切ってしまえば、お金をいつ、どのように使うかという選択の問題とも言える。

 

思えば、鈴木家では親と買い物に行くと、肉を選ぶのは子供の役目であった。ただし、条件がある。牛肉なら一皿、豚肉なら二皿買えるという具合である。予算制約がしっかりとある最適化問題だ。もしかすると、子供は量が多い方を選ぶから、それを見越して、支出が少なくなる選択肢を提示されていたのかもしれないが…

 

何かを選ぶということは、別の何かを諦めるということの裏返しだ。

 

「うちの子供と買い物に行くときもそうしよう。」前職で昼食時にそんな話になったときの上司の一言だ。普遍性のある考え方、教育手法かもしれない。

 

「お金を触ったら手を洗いない。」祖父母が郵便局員だったので、母は現金は誰が触ったか分からない汚い物だと教わったのだろう。現金は転々流通する。

 

一方のキャッシュレスでは、クライアント・サーバ型では転々流通しないが、P2P型では転々流通する。その違いを使用者が実感することはまずない。

 

金融教育には身体性、肌感覚が重要だ。